京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)
〒600-8471 京都府 京都市 下京区 新釜座町 726
駐車場:近くにコインパーキングがある。
京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)は、関東で討たれた平将門公(Taira no masakado)の首が晒された場所です。
京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)は、膏薬辻子(Koh yaku zushi)と呼ばれる細い通りにあります。
西暦940年、討伐された平将門公(Taira no masakado)の首が京都の町中に晒されてから、全国で天変地異が相次ぎました。僧侶の空也(Ku ya)は慰霊の為に塚(Tsuka)を作り、それが京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)になりました。
膏薬辻子(Koh yaku zushi)という名の由来は、空也・供養(Ku ya・Kuyo)という言葉が訛り、細い道を意味する辻子(Zushi)と合わさったものだと考えられています。
京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)です。膏薬辻子(Koh yaku zushi)に入ってすぐの所にあります。
元は空也(Ku ya)が建てた慰霊の塚でしたが、のちに東京(Tokyo)の神田神社(Kanda jinja)から正式に平将門公(Taira no masakado)の御霊(Mitama)を御祭神(Religious-symbol)として勧請しました。
東京(Tokyo)の神田神社(Kanda jinja)は、かつて神田明神(Kanda myo jin)と呼ばれていました。京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)も京都神田神社(Kyoto kanda jinja)と改名してもおかしくないと思うのですが、何故かそのままです。
京都神田明神(Kyoto kanda myo jin)の本殿(Hon den)です。