〒647-0081 和歌山県 新宮市 神倉 1丁目13-8
駐車場:無料
神倉神社は、熊野の神々が最初に降臨した聖地とされています。
駐車場は、参道にかかる神橋の手前左側にあります。
神橋を渡った先に、神倉三宝荒神社・猿田彦社があります。
参道を道なりに歩いて行くと、朱塗りの大鳥居が見えてきます。
鳥居の手前に手水舎があります。
手水鉢を真横から。
神倉神社の石段は538段もあり、急勾配かつ不規則な形状をしているので、鳥居の前にある杖を借りて登りましょう。毎年2月6日には、白装束で松明を持った男性達が石段を駆け降りる奇祭・御燈(おとう)祭りが行われます。 
参道の途中に、火神社・中ノ地蔵堂(ひじんじゃ・なか の じぞうどう)があります。

御燈(おとう)祭りの際、宮司が火打石で起こした火がここに運ばれて、松明に火がつけられます。
参道を進んでいくと、右側に満山社(まんざん しゃ)が見えてきます。
満山社は熊野本宮大社・十二社権現(くまの ほんぐう たいしゃ・じゅうにしゃ ごんげん)の一つで、 八百萬の神を祀っています。
参道に戻り、鳥居をくぐります。
大きな岩の隣に、社があります。
神倉神社と、御神体のゴトビキ岩を望みます。御祭神は天照大神(あまてらす おおみかみ)と、建御雷命(たけみかづち の みこと)から神剣・布都御魂(ふつ の みたま)を預かり、初代・神武天皇に渡した高倉下命(たかくらじ の みこと)です。
初代・神武天皇(当時はイワレビコ)は東征の折り、浪速(大阪)で長脛彦(ながすねひこ)に敗れ、紀伊半島を半周して大和入国を目指しました。しかし、三重県の花の窟神社の付近で暴風雨に見舞われ、水軍が壊滅してしまいました。

止むを得ず熊野に戻ったイワレビコは、高倉下命の助力と、熊野権現の神使(じんし)である八咫烏(やたがらす)の導きを得て、陸路(山道)で大和入国を目指すことになります。
熊野権現が降臨したとされる天磐盾(あま の いわたて)は神倉山のことであり、日本書紀にはイワレビコも登ったと記されています。
