〒630-8133 奈良県 奈良市 大安寺 1-11
駐車場:無料駐車場がある。
大安寺は、南都七大寺(なんと しちだいじ)の一つに数えられている歴史ある寺院であり、日本の仏教史を学ぶには欠かせない寺院です。
大安寺の歴史は、日本国内に仏教を広めた聖徳太子が創建した、熊凝精舎(くまごり しょうじゃ)に始まると言い伝えられています。現在、その跡地には、額安寺(かくあんじ)が建立されています。
創建からしばらくして、熊凝精舎は奈良県・桜井市の吉備池の近くにあった、百済大寺(くだら だいじ)に移ります。
百済大寺は高市大寺(たかち だいじ)に移り、更に奈良県・明日香村の大官大寺(だいかん だいじ)に移ります。
藤原京(ふじわらきょう)から平城京(へいじょうきょう)への遷都と時期を同じくして、大官大寺は大安寺に移り、今に至ります。
昔の大安寺は大きな寺でしたが、平安京への遷都と、度重なる火災によって古い建造物は全て失われ、境内も狭くなってしまいました。
駐車場は、南門(みなみもん)の東西両側にあります。写真は東側の駐車場です。
南門を正面から。
南門を潜ってすぐの所に、南大門(みなみ だいもん)がこの位置にあった事を示す石碑が立っています。
南大門の石碑の反対側にも、石碑や石塔があります。
石碑や石塔の後ろ側に、西暦700年代に作られた仏像七体などの宝物を展示している宝物殿(ほうもつでん)があります。
宝物殿の近くに石灯篭があります。何故か小さな達磨の像がいっぱい乗せられていました。その奥には手水舎があります。
手水舎の近くに本堂(ほんどう)があります。御本尊は十一面観音(じゅういちめん かんのん)です。
本堂の近くには、いのちの小径(こみち)という庭園があります。
本堂の後ろ側、向かって左が写経などを行う小子坊(しょうし ぼう)、右は馬の守護者である馬頭観音(ばとう かんのん)を安置している嘶堂(いななき どう)です。
小子坊と嘶堂の間には、インド八聖地・四国八十八ヶ所お砂踏み霊場があります。
お砂踏みとは、インドにある八か所の聖地と、日本の四国地方にある八十八か所の聖地にある砂を地面に埋めて、その上を歩く事で聖地を巡礼したのと同じ功徳を得ようとするものです。
回廊の出口に護摩堂(ごま どう)があります。
大安寺の近くに、八幡神社と、塔の跡があります。南門の前にある十字路を南に進みましょう。
この八幡神社は、元石清水八幡宮(もと いわしみず はちまんぐう)と呼ばれています。朱塗りの中門(ちゅうもん)が美しいです。
中門の向かい側に、小さな祠があります。
中門を正面から。奥に拝殿(はいでん)があり、その手前に翼廊(よくろう)と呼ばれている祭事場があります。
大安寺・境内案内図の赤く塗られている所が、八幡神社です。
八幡神社の手水舎(ちょうずしゃ)を正面から。
手水舎の隣に、石灯籠と祓殿神社(はらえでん じんじゃ)があります。
拝殿と翼廊を正面から。御祭神は、大分県の宇佐八幡宮(うさ はちまんぐう)から勧請した八幡大神(はちまん おおかみ)こと応神天皇(おうじん てんのう)です。
拝殿の右側に、仁徳天皇を祀る若宮神社(わかみや じんじゃ)があります。
若宮神社の後ろに、命婦神社(めいふ じんじゃ)、春日神社(かすが じんじゃ)、宮玉神社(みやたま じんじゃ)があります。
拝殿の後ろに本殿(ほん でん)があり、その後ろに金刀比羅神社(ことひら じんじゃ)と、稲荷神社(いなり じんじゃ)があります。
本殿の左側に、菅原神社(すがわら じんじゃ)と、厳島神社(いつくしま じんじゃ)があります。
一周回って拝殿の左側には、武内神社(たけうち じんじゃ)があります。
八幡神社から出て、南側に進みます。
中門の向かい側に、小さな祠がありました。
少し歩いた所に、大安寺の東塔(ひがしとう)と、西塔(にしとう)の跡地があります。
大安寺の駐車場に戻り、北側に進みます。
十字路の近くに推古天皇社(すいこ てんのうしゃ)があります。推古天皇は聖徳太子と共に政治を行い、日本に仏教を広めた女性天皇です。
推古天皇社の左側に、大日如来(だいにち にょらい)の坐像があります。
大日如来坐像の隣に、金毘羅大権現社(ことひら だいごんげん しゃ)があります。
金毘羅大権現社の手前に、青面八体金剛童子(せいめん はったい こんごう どうじ)を祀る御堂があります。
推古天皇社から更に北に、経楼(きょうろう)の跡地があります。
経楼跡地の右側に、御霊神社(ごりょう じんじゃ)があります。御祭神は高龗神(たか おかみ の かみ)です。
御霊神社には、八幡神社の閼伽井(あか い)があります。
御霊神社の北に、大安寺の僧侶達が寝起きした僧房(そうぼう)の跡地があります。
僧房の跡地の向かい側に、小さな御堂と、高僧の墓地があります。
高僧の墓地の北側に、杉山古墳(すぎうら こふん)があります。藤原京が平城京に遷都した時、大安寺もこの地に移転してきました。その際、この古墳で瓦などを作成していたようです。
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