延命院・胴塚(En mei in・Do duka)

神社(Shrine)茨城(Ibaraki)

〒306-0617 茨城県 坂東市 神田山 715

駐車場:無料駐車場がある。


 

神田山・延命院(Kado yama・en mei in)には、西暦900年代の武将である平将門(Taira no masakado)の遺体が葬られていると言い伝えられています。

 

 

茨城県道・坂東菅生線(Ban do sugao sen)を北上した場合の景色です。ここを左折します。

 

 

茨城県道・坂東菅生線(Ban do sugao sen)を南下した時の景色です。ここを右折するのですが、季節によってはフェンスと樹木が視界を遮って分かり難いかも知れません。

 

 

道を進んでいくと、駐車場のマークが見えてきます。

 

 

ここからは砂利道です。奥の方に駐車している自動車が見えます。

 

 

この先が駐車場になっています。割と広い駐車場ですし、無料なのも良いですね。

 

 

最初に駐車場のマークが見えた道の先に、延命院(En mei in)と彫刻されている寺号標(Ji go hyo)があります。

 

 

寺号標(Ji go hyo)と境内入口を正面から。寺号標(Ji go hyo)の後ろあたりに毘沙門天堂(Bi shamon ten do)があります。

 

 

毘沙門天堂(Bi shamon ten do)を正面から。御本尊(Religious-symbol)は七福神(Shichi fuku jin)の毘沙門天(Bi shamon ten)です。帝釈天(Tai shaku ten)の四天王(Shi ten noh)として信仰する場合は多聞天(Ta mon ten)と呼ばれています。

 

 

毘沙門天堂(Bi shamon ten do)の前には、やすらぎ地蔵尊(Yasuragi jizo son)の石像が安置されています。

 

 

やすらぎ地蔵尊(Yasuragi jizo son)の隣には、馬の守護者である馬頭観音(Batoh kan non)や、三峯大権現(Mitsu mine dai gon gen)、金毘羅大権現(Kon pira gon gen)の名が刻まれた石碑があります。

 

 

毘沙門天堂(Bi shamon ten do)の扁額です。ここには平将門(Taira no masakado)に因んでか、将門山(Masakado san)という山号(San go)があるようです。

 

 

毘沙門天堂(Bi shamon ten do)の向かい側には観音堂(Kan non do)があります。

 

 

観音堂(Kan non do)の御本尊(Religious-symbol)は聖観音菩薩(Sho kan non bosatsu)の像です。菩薩(Bosatsu)は腕や頭の数が多く描写される傾向があるのですが、聖観音菩薩(Sho kan non bosatsu)は腕や頭の数が人間と同じとされています。

 

 

観音堂(Kan non do)の向かって右側には、光明真言塔(Ko myo shin gon toh)と彫刻された石碑があります。

 

 

 

光明真言塔(Ko myo shin gon toh)の右側には、谷原光不動尊堂(Tani hara hikari fudo son do)があります。

 

 

谷原光不動尊堂(Tani hara hikari fudo son do)の扁額です。

 

 

光明真言塔(Ko myo shin gon toh)の後ろには、石像と墓地があります。

 

 

石像群を近くから。密教法具を持っているので、真言宗の高僧達の像と思われます。

 

 

谷原光不動尊堂(Tani hara hikari fudo son do)の後ろ側には、二つの石塔があります。右の石塔には南無阿弥陀仏(Namu amida butsu)、左の石塔には大威徳将門明王(Dai i toku masakado myo oh)と彫刻されています。

 

 

二つの石塔の近くに、地蔵菩薩(Jizo bosatsu)の石像があります。

 

 

谷原光不動尊堂(Tani hara hikari fudo son do)の御本尊(Religious-symbol)の真裏には、石像や石塔が立ち並んでいます。大きなカヤの樹が聳え立ち、小さな丘のようになっている所が平将門(Taira no masakado)の古墳です。

 

 

ここは相馬御厨(So ma mikuri ya)と呼ばれていた神聖な土地であり、ここに平将門(Taira no masakado)の胴体を埋葬した事で、誰も手を出せなくなりました。

 

 

戦争で敗北した平将門(Taira no masakado)の頭部は、京都に運ばれて晒し物になりました。しかし、その三日後に頭部が胴体を求めて空を飛び、途中で力尽きて東京の皇居の近くある首塚(Kubi duka)に落下したという伝説があります。

皇居(Kokyo)とその周辺

 

 

平将門(Taira no masakado)は圧政に苦しむ民衆の為に蜂起した悲劇のヒーローなので、古来より民衆からの絶大な人気を誇っています。彼は東京の神田神社(Kanda jinja)で今も御祭神(Religious-symbol)として祀られています。

神田神社(Kanda jinja)