建仁寺(Ken nin ji)
〒605-0811 京都府 京都市 東山区 小松町584
駐車場:有料駐車場がある。
建仁寺(Ken nin ji)は、茶祖・明菴栄西(Cha so・Min nan yo sai)禅師が開山した、臨済宗建仁寺派(Rin zai shu ken nin ji ha)の大本山です。
建仁寺(Ken nin ji)の境内案内図(Information map)です。
建仁寺(Ken nin ji)の駐車場です。すぐ側に昔からの歓楽街である祇園(Gi on)がある為、道が狭く、一方通行の道が多いので注意が必要です。
建仁寺(Ken nin ji)の北門(Kita mon)です。駐車場から境内に入る場合は、この門を潜る事はありません。
北門(Kita mon)を潜って塀沿いに少し歩くと、右側に本坊(Hon bo)の入口が見えてきます。ここから本坊、方丈、東陽坊、大書院、小書院の内部を拝観する事が出来ます。写真撮影は全面的にOKです。
本坊(Hon bo)には、西暦1600前後に活躍した画家・俵屋宗達(Tawara ya so tatsu)の風神雷神図(Fu jin rai jin zu)のレプリカが飾られています。実物は京都国立博物館(Kyo to koku ritsu hakubutsu kan)にあります。
建仁寺(Ken nin ji)は歴史のある仏教寺院なので、宝物も数多くあります。これは雲龍図(Un ryu zu)の襖絵(Fusuma e)で、実物は京都国立博物館(Kyo to koku ritsu hakubutsu kan)にあります。
これも雲龍図(Un ryu zu)の襖絵(Fusuma e)です。この絵を描いた画家の名は、海北友松(Kai ho yu sho)と言います。
襖絵(Fusuma e)の山水図(San sui zu)です。これも海北友松(Kai ho yu sho)の作品です。
方丈(Ho jo)から枯山水庭園の大雄苑(Dai oh en)を望みます。奥に見える大きな建物は法堂(Hattoh)です。手前の門は締め切りになっているので潜れません。
写真右側の建物が方丈(Ho jo)です。京都(Kyo to)は和服姿の観光客が多い所です。
方丈(Ho jo)には、十一面観音坐像(Ju ichi men kan non za zoh)が安置されています。
方丈(Ho jo)から、照霊堂(Sho rei do)と言う納骨堂を望みます。
大書院(Dai sho in)の中から、東陽坊(To yo bo)と言う茶室を望みます。
大書院(Dai sho in)と小書院(Sho sho in)の中間点に、潮音庭(Cho on tei)があります。この庭は坐禅道場の役目も果たせるように、坐禅石(Zazen seki)が用意されています。右上の四角い石が坐禅石(Zazen seki)です。
潮音庭(Cho on tei)の近くに、○△□乃庭(Maru sankaku shikaku no niwa)があります。○は木、△は庭の隅、□は井戸を意味しているそうです。
本坊(Hon bo)から出る前に、この廻廊を歩いて法堂(Hattoh)を見ていきましょう。
法堂(Hattoh)の内部です。御本尊(Religious-symbol)は釈迦如来坐像(Shaka nyo rai za zoh)です。
法堂(Hattoh)の天井には、巨大な双龍図(So ryu zu)が描かれています。龍は仏教の守護者であり、水を司る存在です。禅宗寺院では建物を火災から守ってもらう為に、法堂(Hattoh)の天井に雲龍図を書く事があります。
法堂(Hattoh)を外から望みます。本坊(Hon bo)から外に出てしまうと、もう法堂(Hattoh)の中には入れなくなるので注意してください。
法堂(Hattoh)の東側に両足院(Ryo soku in)と言う寺院があります。普段は非公開ですが、期間限定で内部が公開される事もあります。
この石碑は茶碑(Cha hi)と言います。建仁寺(Ken nin ji)の御開山である明菴栄西禅師(Zen master Min nan yo sai)は、修行先の中国大陸から日本に茶を持ち帰りました。茶は坐禅の眠気覚ましや、二日酔いの薬として用いられていました。
茶碑(Cha hi)の南側には開山堂(Kai zan do)があります。ここは明菴栄西禅師(Zen master Min nan yo sai)の墓なので、建物の内部は撮影禁止になったようです。
開山堂(Kai zan do)の側に、岡山県の吉備津神社(Kibitsu jinja)の末社である明星殿・楽明神(Myo jo den raku myo jin)があります。明菴栄西禅師(Zen master Min nan yo sai)は吉備津神社(Kibitsu jinja)の縁者だからかも知れません。
因みに、吉備津神社(Kibitsu jinja)の近くには、明菴栄西禅師(Zen master Min nan yo sai)の誕生地があります。
明星殿・楽明神(Myo jo den raku myo jin)の南に、浴室(Yoku shitsu)があります。これは禅僧達が使っていた蒸し風呂です。
浴室(Yoku shitsu)の南側には、霊洞院(Rei do in)、霊源院(Rei gen in)、大統院(Dai to in)に続く道があります。どれも通常非公開の寺院です。
浴室(Yoku shitsu)の西側には三門(San mon)があります。三門(San mon)とは三解脱門(San gedatsu mon)の略称であり、三解脱門(San gedatsu mon)とは空門(Ku mon)、無相門(Muso mon)、無作門(Musaku mon)の事です。
三門(San mon)の西側にも、期間限定公開の寺院があります。
三門(San mon)の南側には勅使門(Choku shi mon)があります。この門は、勅使(Choku shi)と呼ばれる天皇陛下からの使者が来た時だけ開きます。
勅使門(Choku shi mon)の西側に、禅居庵・摩利支天堂(Zen kyo an・Marishi ten do)があります。
禅居庵(Zen kyo an)の御開山は、渡来の禅僧である大鑑禅師・禅師清拙正澄(Dai kan zen ji・Sei setsu sei cho)です。建長寺(ken cho ji)、円覚寺(En kaku ji)、建仁寺(Ken nin ji)、南禅寺(Nan zen ji)の住職を歴任した高名な禅僧です。
禅居庵(Zen kyo an)の御本尊(Religious-symbol.com)は聖観音菩薩(Sho kan non bosatus)ですが、大鑑禅師・禅師清拙正澄(Dai kan zen ji・Sei setsu sei cho)が自作した摩利支天(Marishi ten)の像も祀っています。
因みに、猪は摩利支天(Marishi ten)の乗り物です。
この日、たまたま入る事の出来た正伝永源院(Sho den ei gen in)も紹介しておきます。ここは建仁寺(Ken nin ji)の北側にある寺院なのですが、普段は非公開です。
元は正伝院(Sho den in)と永源庵(ei gen an)の二つの寺院でしたが、時代の流れによって一つの寺院となり、名前も合わさりました。
正伝永源院(Sho den ei gen in)には宝物も多数ありますが、一番の魅力はこの庭です。
正伝永源院(Sho den ei gen in)の庭には、如庵(Jo an)と言う茶室があります。持ち主は武将・織田信長(Oda nobunaga)の弟である織田有楽斎(Oda yu raku sai)です。
織田有楽斎(Oda yu raku sai)はクリスチャンだったので、ヨハン(Johan)という洗礼名を持っていました。それが庵の名になったという話もあります。
織田有楽斎(Oda yu raku sai)は、茶祖・明菴栄西(Cha so・Min nan yo sai)禅師が開山した建仁寺(Ken nin ji)の側で、大いに茶道(Sa do)を楽しんでいたとか・・・。