大徳寺(Dai toku ji)
〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
駐車場:有料駐車場がある。
臨済宗・大徳寺派(Rin zai shu・dai toku ji ha)の総本山・大徳寺(Dai toku ji)です。
大徳寺(Dai toku ji)の境内案内図(Information map)です。
大徳寺(Dai toku ji)の駐車場です。反対側にはコインパーキングもあります。
駐車場のすぐ側に総門(So mon)があります。総門(So mon)の付近に駐車する事が出来るのは大徳寺(Dai toku ji)の関係者だけなのでご注意あれ。
総門(So mon)を潜って参道(San do)を歩くと、右側に勅使門(Choku shi mon)が見えてきます。
勅使門(Choku shi mon)は、天皇陛下からの使いを迎える時だけ開かれます。
勅使門(Choku shi mon)の後ろ側には山門(San mon)があります。山門(San mon)は三解脱門(San gedatsu mon)とも言い、三つの煩悩を捨て去った境地を意味しています。
山門(San mon)は過去の戦乱で焼け落ちてしまいましたが、有名な一休宗純禅師(Zen master ikkyu so jun)の尽力により復興し、千利休(Sen no rikyu)の手によって今の姿になりました。
山門(San mon)の扁額には金毛閣(Kin mo kaku)と書かれています。禅宗では高僧を金毛の獅子に例え、その説法を獅子が吼えるようだと称える事から、千利休(Sen no rikyu)がこの名をつけたそうです。
山門(San mon)を裏側から。復興を遂げた山門(San mon)の二階には、千利休(Sen no rikyu)の木像が安置される事になりました。しかし、それが時の権力者である豊臣秀吉を怒らせる事となり、千利休(Sen no rikyu)は切腹を申し付けられてしまいました。
山門(San mon)の後ろ側には仏殿(Butsu den)があります。
仏殿(Butsu den)を近くから。御本尊(Religious-symbol)は釈迦如来(Buddha)です。
仏殿(Butsu den)の後ろ側には法堂(Hattoh)があり、屋根付きの廻廊が伸びています。
少々見えにくいですが、法堂(Hattoh)です。残念ながら観光客が拝観するのは難しいようです。
法堂(Hattoh)の後ろ側には本坊・方丈(Hon boh・Ho jo)があり、屋根付きの廻廊が伸びています。残念ながら本坊・方丈(Hon boh・Ho jo)は観光客が拝観する事は出来ません。
本坊・方丈(Hon boh・Ho jo)の門です。観光客は立ち入り禁止です。
本坊・方丈(Hon boh・Ho jo)の門の近くに鐘楼(Sho roh)があります。
本坊・方丈(Hon boh・Ho jo)の裏手に、大仙院(Dai sen in)と真珠庵(Shin ju an)があります。
大徳寺(Dai toku ji)の境内には24の寺院がありますが、殆どが期間限定の公開です。しかし、大仙院(Dai sen in)、龍源院(Ryu gen in)、瑞峯院(Zui ho in)、高桐院(Ko toh in)の4寺院は常時公開になっています。
大仙院(Dai sen in)の近くにある真珠庵(Shin ju an)は、過去の戦乱で焼け落ちた大徳寺(Dai toku ji)を復興させた47代住持・一休宗純禅師(Zen master ikkyu so jun)ゆかりの寺院です。
真珠庵(Shin ju an)の近くには、短期間ながら一休宗純禅師(Zen master ikkyu so jun)も住んだ如意庵(Nyo i an)があります。
大徳寺(Dai toku ji)の西側には、常時公開の高桐院(Ko toh in)があります。
勅使門(Choku shi mon)の近くには、常時公開の龍源院(Ryu gen in)があります。
龍源院(Ryu gen in)の庭園です。
龍源院(Ryu gen in)の近くに、常時公開の瑞峯院(Zui ho in)があります。
大徳寺(Dai toku ji)の御開山は、大燈国師・宗峰妙超(Dai toh koku shi・Shu ho myo cho)です。その師は大応国師・南浦紹明(Dai oh koku shi・Nanpo sho myo)であり、鎌倉は建長寺(Ken cho ji)の御開山です。