飛鳥寺(あすかでら)

寺院 (Temple)奈良(Nara)

〒634-0103 奈良県 高市郡 明日香村 飛鳥 682

駐車場:有料駐車場がある。


 

飛鳥寺は西暦600年頃に建立された、日本最初の仏教寺院です。また、法興寺(ほうこうじ)、元興寺(がんごうじ)、安居院(あんごいん)など、複数の名称がある事でも知られています。

 

 

飛鳥寺の駐車場です。30分まで無料です。

 

 

山門(さんもん)です。門の左側には飛鳥大仏(あすか だいぶつ)と彫刻された石碑があります。

 

 

飛鳥寺には鳥形山(ちょうけい さん)という山号があり、その山号の由来となった鳥形山の麓に、式内大社・飛鳥坐神社があります。

飛鳥坐神社(あすか にます じんじゃ)

 

 

山門の左側に、忠魂碑(ちゅうこん ひ)と万葉池(まんよう いけ)があります。

 

 

万葉池には3体の仏像が並んでいます。右から弘法大師・空海(こうぼう だいし くうかい)、観世音菩薩(かんぜおん ぼさつ)、不動明王(ふどう みょうおう)です。

 

 

かつてこの位置には、日本初の女性天皇である第33代・推古天皇(すいこ てんのう)が建立した塔がありました。今も地中には塔の基礎が埋まっています。

 

 

写真の左側にあるのは1745年に創建された鐘楼(しょう ろう)です。鐘は1958年に新たに鋳造されたものです。その右側にあるのは地蔵堂(じぞう どう)です。

 

 

地蔵堂の右側に、観世音菩薩の像を安置する思推殿(しすい でん)があります。

 

 

思推殿の右側には本堂(ほんどう)があります。本堂には、推古天皇が作らせた日本初の大仏とされる、飛鳥大仏が安置されています。

 

 

本堂の前には、西暦596年の創建当初に用いられた礎石が3個並んでいます。

 

 

本堂の中に、御本尊の飛鳥大仏こと、釈迦如来坐像が安置されています。飛鳥大仏は創建以来の約1400年間、この位置から動かされる事なく安置され続けてきました。見る角度によって、大仏の表情が違うと言われています。

 

 

現在の飛鳥寺は寺勢が衰え、昔の20分の1程度の規模しか無いそうです。

 

 

本堂には、推古天皇の摂政(せっしょう)を勤めた聖徳太子(しょうとく たいし)の像もあります。聖徳太子は日本初の憲法である17条憲法を作った有力な政治家であり、優れた仏教学者でした。

 

 

本堂の中庭です。

 

 

中庭には西暦1300~1500年頃の宝篋印塔(ほうきょう いんとう)や、小さな石像、古い道標などが置かれています。

 

 

本堂の展示品には、大変貴重な品が数多く展示されています。飛鳥寺の近くには窯があり、瓦や土器などを作っていたそうです。

 

 

こちらは百済(くだら)系土器です。かつて朝鮮半島に存在した百済国は、先進的な文明を誇る仏教国でした。石舞台遺跡(いしぶたい いせき)に葬られたとされる蘇我馬子(そが の うまこ)は、百済に仏教僧侶や各種技術者を派遣を要請した人物です。

 

 

水と仏教の守護神である深沙大将(じんじゃ だいしょう)の立像です。深沙大将はシルクロードの旅で三蔵法師・玄奘(さんぞう ほうし・げんじょう)を守護したと言い伝えられています。玄奘の直弟子である道昭(どうしょう)は、飛鳥寺で師から学んだ法相宗(ほっそうしゅう)の教えを説きました。

 

 

本堂から出て、西側にある門を潜って境内の外に出ます。

 

 

境内から出て西の方角に、蘇我馬子の子孫である蘇我入鹿(そが の いるか)の首塚(くび づか)があります。

 

 

聖徳太子が亡くなった後、蘇我一族の後継者である蘇我入鹿が飛鳥京(あすか きょう)で暗殺されました。その後、祟りの噂が長年に渡って語り継がれ、西暦1200~1300年代に供養の石塔が建てられる事になりました。

その後ろにある小高い丘は甘樫丘(あまかし の おか)と言って、かつては蘇我氏の邸宅がありました。現在の甘樫丘には展望台があり、そこから飛鳥寺を眺める事が出来ます。

 

 

首塚の側に飛鳥寺の西方遺跡があり、昔はこの位置まで飛鳥寺の境内だった事を示しています。

 

 

飛鳥寺の北側に位置する来迎寺(らいごうじ)も、昔は飛鳥寺の境内だったので、当時の礎石が残っています。

 

 

来迎寺の山門は、飛鳥北簡易郵便局(あすか きた かんい ゆうびんきょく)の向かいにあります。

 

 

 

 

 

日本最初の首都である藤原京(ふじわらきょう)は、西暦710年に平城京(へいじょうきょう)に遷都しました。飛鳥寺も藤原京と共に遷寺し、新たに寺院を創建しました。それが現在の元興寺(がんごうじ)です。

元興寺(がんごうじ)