興福寺(Ko fuku ji)

寺院 (Temple)奈良(Nara)

〒630-8213 奈良県 奈良市 登大路町 48

駐車場:周辺に複数あるコインパーキングの利用をお勧めします。


 

世界遺産に指定されている法相宗・大本山(Hosso shu・dai hon zan)の興福寺(Ko fuku ji)です。

 

 

興福寺(Ko fuku ji)の境内案内図(Information map)です。

 

 

国宝館(Koku ho kan)の隣に有料駐車場がありますが、普通車で1000円もします。奈良公園(Nara ko en)の南側には比較的料金が安めのコインパーキングが複数あるので、そちらを利用した方が良いと思います。

 

 

奈良公園(Nara ko en)の南側には猿沢池(Saru sawa ike)があり、その右隣には五十二段(Goju ni dan)と呼ばれている石段があります。

 

 

奈良公園(Nara ko en)の周辺には野生の鹿が多数生息していて、普通に道路を歩いていたり、寝そべっていたりします。

 

 

五十二段(Goju ni dan)を上った先に、興福寺(Ko fuku ji)の敷地(Kei dai)があります。

 

 

五十二段(Goju ni dan)の左側に、南大門跡(Minami dai mon ato)があります。

 

 

南大門跡(Minami dai mon ato)から中金堂(Chu kon do)を望みます。中金堂(Chu kon do)は過去に何度も失われており、現在は9代目になります。

 

 

中金堂(Chu kon do)の西側には八角形の建物である南円堂(Nan en do)があり、その向かって右側には興善院(Ko zen in)があります。

 

 

興善院(Ko zen in)には、一言観音堂(Hito koto kan non do)があります。ここの藤棚は美しい景観を誇っていて、南都八景(Nanto hakkei)の一つに数えられています。

 

 

一言観音堂(Hito koto kan non do)を正面から。

 

 

南円堂(Nan en do)の向かって左側には鐘楼(Sho roh)があります。

 

 

鐘楼(Sho roh)の斜め向かいには手水舎(Cho zu sha)があります。

 

 

手水舎(cho zu sha)を斜めから。作法については、下記リンク先に説明ページがありますので御覧ください。

 

 

礼儀作法(Manners)

 

 

手水舎(cho zu sha)の隣には不動堂(Fudo do)があります。ここにも藤棚がありますね。

 

 

興善院(Ko zen in)の横にある道を歩いて、北円堂(Hoku en do)を目指します。写真は南円堂(Nan en do)です。

 

 

北円堂(Hoku en do)への道の途中で、中金堂(Chu kon do)の後ろにある仮講堂(Kari koh do)を望みます。

 

 

西金堂跡(Nishi kon do ato)です。今は建物があった事を示す石碑があるのみです。

 

 

西金堂跡(Nishi kon do ato)の近くに、国宝の北円堂(Hoku en do)があります。日本国内に現存する八角形の円堂(En do)の中では、最も美しいと言われています。

 

北円堂(Hoku en do)の近くから、中金堂(Chu kon do)、東金堂(Higashi kon do)、五重塔(Goju no toh)を望みます。

 

 

国宝の五重塔(Goju no toh)を近くから。過去に何度も失われて現在は6代目です。高さは50.1メートルで、五重塔としては国内二位の高さを誇っています。

 

 

五重塔(Goju no toh)の隣には国宝の東金堂(Toh kon do)があります。この建物も過去に5回失われています。

 

 

有料ですが、東金堂(Toh kon do)は中に入る事が出来ます。

 

 

 

東金堂(Toh kon do)の向かって左側には、有名な三面阿修羅像(San men ashura zo)などの国宝や重要文化財を多数収蔵している国宝館(Koku hoh kan)があります。有料ですが、興福寺(Ko huku ji)に来たらここに入らないという選択肢はありません。

 

 

国宝館(Koku hoh kan)の東南に、大湯屋(Oh yu ya)と呼ばれる入浴施設があります。内部には鉄製の湯釜が二つあるそうです。

 

 

国宝館(Koku hoh kan)の東側、奈良国立博物館(Nara koku ritsu haku butsu kan)の近くに、宝蔵院跡(Hoh zoh in ato)があります。ここも元は興福寺の敷地内でした。

 

 

興福寺は別名を南都(Nan to)と言い、比叡山・延暦寺(Hi ei zan ・en ryaku ji)を北嶺(Hoku rei)と言いました。南都(Nan to)と北嶺(Hoku rei)は仲が悪く、たびたび衝突を繰り返しました。

後に戦乱と権力者の死によって南都(Nan to)は弱体化し、政治の中心地は関東に移ります。南都(Nan to)にかつての勢いが戻る事は無く、北嶺(Hoku rei)は法然(Ho nen)、親鸞(Shin ran)、栄西(Yo sai)、道元(Do gen)などの有力な僧侶が新しい仏教宗派を開いて、民衆から篤い信仰を受けました。