松蔭寺(Shoin ji)

寺院 (Temple)静岡(Shizuoka)

〒230-0077 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾1-18-2

駐車場:近くに有料パーキングがある。


 

臨済宗(Rinzai shu)中興の祖と名高い、白隠慧鶴禅師(Zen master Hakuin ekaku)が住職を務めた寺です。

 

 

松蔭寺(Shoin ji)の周辺案内図(Information map)です。

有料パーキングは、白隠禅師(Zen master Hakuin)誕生地の隣と、向かい側の2ヶ所にあります。向かいのパーキングは銀行の駐車場でもあります。(2019年現在)

 

 

誕生地を正面から。元は母方の生家で、味噌屋を営んでいたそうです。

 

 

門をくぐった所に、白隠禅師(Zen master Hakuin)の産湯の井戸(Ubu yu no ido)があります。

 

 

産湯の井戸(Ubu yu no ido)の先には、無量堂(Muryo dou)があります。

 

 

無量堂(Muryo dou)の堂内です。三つの位牌の後ろに、白隠禅師(Zen master Hakuin)のお姿を彫刻した石碑を望みます。その手前には、賽銭箱と参拝記念の記帳簿があります。

 

 

無量堂(Muryo dou)の裏にある石碑です。

 

 

白隠禅師(Zen master Hakuin)誕生地から、旧東海道(Kyu toukai dou)を少し歩いた所に松蔭寺(Shoin ji)があります。

 

 

山門(San mon)を近くから。瓦の数が煩悩と同じ108枚あるそうです。「高さ制限2.5m以下」との看板が出ていますが、松蔭寺(Shoin ji)の境内に駐車場はありません。

 

 

山門(San mon)をくぐると、本堂(Hon dou)が見えて来ます。

 

 

境内の左側です。小さな仏像が壁のように並んでいますね。

 

 

鐘楼(Shou rou)です。

 

 

境内の全体的なイメージを掴んで頂く為に、壁のように並んでいる小さな仏像の後ろから撮影してみました。

 

 

仏像を近くから。

 

 

境内を左回りすると、慰霊碑や墓地が見えて来ます。

 

 

本堂(Hon dou)を斜めから。扁額には「大信根(Dai Shin kon)」と書いてあります。これは学道の三則の一つで、仏法が真理の教えと信じる事です。

 

 

本堂(Hon dou)の中です。手前の扁額に正念(Syou nen)と書かれているのは分かるのですが、奥の扁額は闡提(Sen dai)と書いてあるのでしょうか?大悲闡提の略なら、現世に留まって人を救い続ける菩薩の意味になると思いますが、ちょっと分かりません。

 

 

 

賽銭箱のアップです。左側の寺紋に注目。

 

 

本堂(Hon dou)の右側には寺務所(Ji mu sho)があります。

 

 

松蔭寺(Shoin ji)は、臨済宗・妙心寺派(Rinzai shu・Myou sin ji ha)から独立した「白隠宗(Hakuin shu)」という単立宗派の大本山なのです。

 

 

本堂の左側、奥まった所に坐禅道場があり、学道の三則の一つ「大憤志(Dai fun shi)」と書かれた扁額が掲げられています。

 

 

道場手前にある彫像のアップです。見た事の無いユニークな造形です。獅子(Shi shi)なのか狛犬(Koma inu)なのかも分かりません。実に興味深い。

 

 

対になる彫刻は破損してボロボロの状態でした。ちょっと可哀想ですね。

 

 

坐禅道場の中です。臨済宗(Rinzai shu)は、単布団(Tan buton)と呼ばれる長い座布団を重ねるように敷き、その上で坐禅を組みます。

 

 

道場の左側には、学道の三則の一つ「大疑(Dai gi)」と書かれた扁額を掲げる建物があります。大疑団(Dai gi dan)は有名な言葉ですが、大疑清(Dai gi sei?)という単語は初めて目にしました。実に興味深い。

 

 

道場の横には、白隠禅師(Zen master Hakuin)の墓に続く道があります。

 

 

道場からの道を真っ直ぐに行った所の、松の木の右側に白隠禅師(Zen master Hakuin)の墓があります。

 

 

僧侶の墓石は「無縫塔(Mu hou tou)」と言って、独特な卵形をしています。

 

 

墓地の近くにある東海道本線の踏切には「白隠踏切(Hakuin fumi kiri)」の名がついています。

 

 

「白隠踏切(Hakuin fumi kiri)」を渡らず道なりに歩くと、石柱の門が見えて来ます。

 

 

石柱の門をくぐった先には「白隠禅師塔所(Hakuin zen ji tassho)」と彫られた石碑がありました。

 

 

1685年にこの地で誕生した白隠禅師(Zen master Hakuin)は、松蔭寺(Shoin ji)で出家した後、諸国行脚の旅に出ました。そして師となる正受老人(Shoju roujin)と出会って、厳しい修行に励んだそうです。

 

 

正受老人(Shoju roujin)が住んでいた小さな庵は「正受庵(Shoju an)」と呼ばれており、現在は臨済宗(Rinzai shu)の聖地になっています。

正受庵(Shoju an)