守矢資料館(Moriya shiryo kan)と、大祝邸(Oh houri tei)

M, O長野(Nagano)

神長官・守矢資料館(Jin cho kan・moriya shiryo kan)

〒391-0013 長野県 茅野市 宮川 389-1

駐車場:無料駐車場がある。


 

守矢資料館(moriya shiryo kan)は、かつて諏訪大社の祭祀を司っていた神長官(Jin cho kan)の一族が保有している文書を保存・公開している場所です。

 

 

守矢資料館(moriya shiryo kan)の周辺案内図(Information map)です。

 

 

守矢資料館(moriya shiryo kan)の駐車場です。無料ですが、あまり広くはありません。

 

 

守矢資料館(moriya shiryo kan)の入口です。神長官(Jin cho kan)は守矢(Mori ya)という氏族が代々継いできた役職なので、守矢資料館(moriya shiryo kan)とその入口は守矢(Mori ya)の敷地の中にあります。

 

 

祈祷殿(Kito den)です。神長官(Jin cho kan)はここで祭祀を行ったり、一族に伝わる秘術を伝授していたそうです。

 

 

守矢資料館(moriya shiryo kan)を遠くから。内部では祭祀に関する展示物や、貴重な文書が保管されています。

 

 

守矢資料館(moriya shiryo kan)の先には、御左口神(Mishaguji sama)を祀る御頭御社宮司総社(On toh mishaguji so sha)があります。諏訪湖の周辺には御社宮司社(Mishaguji sha)が数多く存在するのですが、ここがその総社(So sha)になります。

 

 

御頭御社宮司総社(On toh mishaguji so sha)の隣にも、四方に御柱が立つ社(Yashiro)があります。恐らく、稲荷社(Inari sha)か天神社(Ten jin sha)か神明社(Shin mei sha)のどれかだと思うのですが、残念ながら詳しい事は分かりませんでした。

 

 

御頭御社宮司総社(On toh mishaguji so sha)の左側には、神長官裏古墳(Jin cho kan ura kofun)があります。この古墳は七世紀頃に作られたもので、まだ石室(Seki shitsu)が残っています。過去の調査の結果、古墳の中からは木棺の破片や刀剣類が出土したそうです。

 

 

御頭御社宮司総社(On toh mishaguji so sha)の右側には、大祝(Oh houri)と呼ばれた歴代の最高位神官の墓地があります。

 

 

大祝(Oh houri)の墓地の近くに、空飛ぶ泥船(Sora tobu doro fune)という茶室(Cha shitsu)があります。この奇妙な建築物は、守矢資料館(moriya shiryo kan)を設計した藤森照信氏(Fuji mori teru nobu)が作ったものです。

 

 

諏方家・大祝邸(Suwake oh houri tei)

〒392-0015 長野県諏訪市中州1606

駐車場:無料駐車場がある。


 

諏訪大社・上社本宮(Suwa taisha・kamisya hon miya)の近くに、大祝(Oh houri)と呼ばれた歴代の最高位神官が住んでいた家があります。

 

 

諏方家・大祝邸(Suwa ke・oh houri tei)の古い見取り図(Information map)です。

 

 

大祝邸(Oh houri tei)への道は、狭く細いので注意が必要です。邸宅の前には春日神社(Kasuga jinja)があります。

 

 

春日神社(Kasuga jinja)を正面から。古い見取り図(Information map)を見る限りでは、昔はここも御社宮司社(Mishaguji sha)だったと読む事も出来るのですが、実際にはどうだったのでしょうか。

 

 

春日神社(Kasuga jinja)の隣にも小さな祠があります。中央の黒い石碑には、東照宮跡(To sho gu ato)と書いてあります。

 

 

東照宮跡(To sho gu ato)の近くから、諏方家(Suwa ke)の土蔵(Dozoh)と、梶の家紋が見えます。

 

 

春日神社(Kasuga jinja)の先に駐車場があります。

 

 

駐車場の向かいに、大祝邸(Oh houri tei)の表門(Omote mon)があります。何気に三峯神社(Mitsu mine jinja)のような三ツ鳥居(Mitsu tori i)の形状になっています。

 

 

三峯神社(Mitsumine jinja)

 

 

大祝邸(Oh houri tei)の門を裏側から。代々、大祝(Oh houri)を勤めてきた諏方(Suwa)の一族は、残念ながら2002年に断絶してしまいました。つまり、もうこの門から大祝(Oh houri)が出入りする事は無いのです。

 

 

元々、大祝(Oh houri)の屋敷は諏訪大社・上社前宮(Suwa taisha・kamisha mae miya)の神原(Go bara)と呼ばれる場所にありましたが、西暦1600年代の後半にこの地に移転してきました。現在の家屋は西暦1800年代の中頃に再建されたものです。

 

 

家屋の裏側、諏方家(Suwa ke)の土蔵(Dozoh)の隣に、大きな銀杏の樹が生えています。

 

 

土蔵(Dozoh)の前に、石灯籠と池があります。

 

 

池を別の角度から。昔の大祝邸(Oh houri tei)はもっと敷地が広かったのですが、戦乱や火災、または時の政府の方針によって大祝(Oh houri)の権力が削がれていき、それと同時に敷地も狭くなっていったようです。

 

 

諏訪大社・リンク集(Suwa taisha・Link)