山谷・泪橋(さんや・なみだばし)

史跡(Historic site)

 

山谷とは、台東区の北部、東京・日本橋~栃木県・日光を結ぶ、日光街道沿いを指す古い地名です。現在でも台東区と荒川区の境に泪橋(なみだばし)という交差点がありますが、昔はここが江戸との境でした。

 

 

元々、泪橋は思川(おもいがわ)と呼ばれるドブ川にかかる橋でしたが、明治通りの整備に伴って思川は暗渠(あんきょ)され、泪橋も撤去されてしまいました。

 

 

山谷は日光街道沿いの宿場町であり、江戸時代から安宿の多い場所でした。明治時代に政府の意向で吉原遊郭が設置されてから、貧困層や労働者の出入りが激しくなりました。

吉原神社(よしわら じんじゃ)

 

 

山谷の北部、泪橋から約500mほど離れた所に、小塚原刑場(こづかはら けいじょう)の跡地があります。明治時代に刑場は廃止され、現在は処刑された人達の墓地と、仏教寺院の回向院(えこう いん)が残るのみです。

 

 

回向院の近くに、首切り地蔵で有名な延命寺(えんめいじ)があります。元は回向院にありましたが、明治時代に常磐線が敷設されて境内が南北に分断されてしまい、1982年に回向院から独立しました。

 

 

戦後、東京大空襲の復興や、東京オリンピックなどで労働者の需要が高まり、大阪府・西成北部のあいりん地区や、神奈川県・横浜の寿町と共に、日本三大ドヤ街の一つに数えられるようになりました。因みに、ドヤ街の「ドヤ」とは、宿(ヤド)が転じたものです。

ドヤ街は人の出入りが激しく、人間関係が希薄です。そこで暮らす日雇い人夫は仕事があれば働き、仕事が無い日は気ままに過ごしています。社会の最底辺ではあるものの、居心地は決して悪くなく、人によっては安住の地に成り得ると主張する人も居ます。

尤も、現在の山谷は活気が無く、日雇い仕事の手配師も殆ど居ません。2020年の東京オリンピックの整備で古いドヤは解体され、新たに集合住宅や、訪日外国人向けの簡易宿泊施設が建設されました。

 

かつてのドヤ街らしさは失われつつあり、高齢化した日雇い労働者達も、別のドヤに移住したり、都営住宅に入居する人が増えているそうです。でも、中には他所に馴染めず、山谷に戻ってきてしまう人も居るのだとか。

山谷は安全靴発祥の地ですし、ボクシング漫画のあしたのジョーも山谷が舞台です。コーヒーの世界的名店カフェ・バッハも山谷にありますし、最近は千円でベロベロに酔うというコンセプト「せんべろ」の聖地になりつつあります。

日光・リンク集