日光二荒山神社・本社(Futarasan jinja・honsha)
〒321-1431栃木県日光市山内2307
駐車場:有料駐車場がある。
日光二荒山神社(Futarasan jinja)は、日光発祥の地であり、本社(Hon sha)です。1000年もの歴史の間に、二荒(Ni kou)を日光(Nikko)と読むようになりました。東照宮(To sho gu)の向かって左側、歩いて僅か数分の所にあります。
二荒山神社(Futarasan jinja)の拝観チケットは、境内案内図(Information map)になっています。
二荒山神社(Futarasan jinja)の楼門(Rou mon)です。は、伊勢神宮(Ise jingu)に次ぐ広大な境内を所有しています。東照宮(To sho gu)は二荒山神社(Futarasan jinja)の境内にある、徳川家康公の墓所です。
唐銅鳥居(Kara kane tori i)です。その足下にご注目ください。
蓮の花の彫刻がされているものは明神鳥居(Myojin torii)と言って、現存する物は少なく、貴重です。
唐銅鳥居(Kara kane torii)を振り返ってみました。チケットには右側が駐車場と記載してありますが、ここに駐車して良い事を知る人は少ないのです。
唐銅鳥居(Kara kane torii)の先にいくと、手水舎(Cho zu sha)や拝殿(Hai den)などがあります。
手水舎(cho zu sha)を正面から。作法については、下記リンク先に説明ページがありますので御覧ください。
サイト内リンク→「礼儀作法(Manners)」
神楽殿(Kagura den)には、隣の拝殿(Hai den)で祀られている大己貴命(Oh namuchi no mikoto)の御神像がありました。大己貴命(Oh namuchi no mikoto)は、またの名を大国主命(Oh kuni nushi no mikoto)と言い、七福神(Shi chi fuku jin)の大黒天(Dai koku ten)と同一視されるようになった福の神です。
拝殿(Hai den)です。主祭神は、大己貴命(Oh namuchi)、田心姫(Tagori hime)、味耜高彦根神(Ajisuki takahikone no kami)の三柱です。拝殿(Hai den)の裏には、本殿(Hon den)があります。
拝殿(Hai den)と神楽殿(Kagura den)の間には、一対の狛犬が像があります。その先は有料エリアの神苑(Shin en)になっています。
神苑(Shin en)に入ってすぐの左側に、日枝神社(Hie jinja)があります。その奥の建物は神輿舎(Shin yo sha)です。
日枝神社(Hie jinja)の御祭神は大山咋神(Oh yama kui no kami)で、別名を山王(San noh)と言います。山王(San noh)は比叡山・延暦寺(En ryaku ji)や徳川将軍家の守護神でもあります。
日枝神社(Hie jinja)の先にある神輿舎(Shin yo sha)です。本宮(Hon gu)、本社(Hon sha)、滝尾神社(Taki no o jinja)の神輿がここに収められています。本宮(Hon gu)とは、史跡探勝路(Shiseki tansho ro)にある本宮神社(Hon gu jinja)の事です。
神輿舎(Shin yo sha)の反対側には、化け灯籠(Bake tou rou)があります。その昔、夜が来てこの灯籠に火を入れても、すぐに火が消えてしまったり、周囲が二重に見えたり、灯籠の姿が変化すると言った怪異があったそうです。怪しんだ警備の武士が何度も刀で斬りつけると、やがて怪異は止んだそうです。縁の所にある傷は、その時のものだそうです。
化け灯籠(Bake tou rou)の先には、本殿(Hon den)の遙拝所があります。立て看板には「神様に一番近い参拝所」と書いてあります。
化け灯籠(Bake tou rou)と、神輿舎(Shin yo sha)の間から撮影。左から大国殿(Dai koku den)、中央左側の赤い鳥居が二荒霊泉(Futara rei sen)、中央右側が朋友神社(Mitomo jinja)、一番右側に御神木があります。
御神木です。樹齢700年の杉の巨木です。
朋友神社(Mitomo jinja)です。御祭神は少彦名命(Sukuna hikona no mikoto)で、大国様(Dai koku sama)と一緒に日本の国づくりをした神様です。別名を恵比須様(Yebisu sama)と言います。
大国殿(Dai koku den)です。その名の通り、大国様(Dai koku sama)を祀っています。
大国殿(Dai koku den)の中では、南北朝時代(1336~1392)に作成された、開運大太刀・太郎丸(Tarou maru)が公開されています。刃の長さは約180cm、重量は約7kgもあるので、実用は不可能です。奉納する為に作られた刀である所為か、焼き入れの作業がされていないという、珍しい刀剣です。
太郎丸(Tarou maru)を別の角度から。昔の日本には、長男に「太郎(Tarou)」と名付ける習慣がありました。神体山(Religious symbol)である日光三山、男体山(Nan tai san)と女峰山(Nyo hou san)の間に生まれた太郎山(Tarou yama)から、その名前を貰ったのでしょうか。
二荒霊泉(Futara rei sen)です。飲用可能な湧水を無料で頂けるので、とても人気があります。
立て看板には、左から「酒の泉(Ske no izumi)」「智慧の水(Chie no mizu)」「若水(Waka mizu)」と書いてあります。本社の裏にある洞窟からの湧水と、日光滝尾神社(Taki no o jinja)の「酒の泉(Sake no izumi)」をここまで引いてきているそうです。
飲料水は、こちらで頂けます。柄杓に直接、口をつけたり、泉の中に手やコインなどを入れないようにお願いします。手水舎(Cho zu sha)でのマナーを思い出してください。
二荒霊泉(Futara rei sen)の先には、日光連山(Nikko ren zan)の遙拝所(Yo hai jo)があります。
二荒山神社・本社(Hon sha)では男体山(Nan tai san)を大己貴命(Oh namuchi no mikoto)として祀り、日光滝尾神社(Taki no o jinja)では女峰山(Nyohou san)を田心姫(Tagori hime)として祀り、本宮神社(Hon gu jinja)では太郎山(Tarou yama)を味耜高彦根神(Ajisuki taka hikone no kami)として祀っています。
男体山(Nan tai san)、女峰山(Nyohou san)、太郎山(Tarou yama)の連山を日光三山(Nikko san zan)と言います。
遙拝所(Yo hai jo)には、日光三山(Nikko san zan)を模した岩があり、男体山(Nan tai san)の位置には、その山頂にある刀剣の模型があります。
偶然にも、刀身に太陽の光が反射する所を撮影する事が出来ました。こういったラッキーな出来事を、日本では「縁起が良い(Engi ga yoi)」と言います。縁起(Engi)とは、仏教の因縁生起(In nen shoki)の略です。
遙拝所(Yo hai jo)の近くに、若子神社(Jakko jinja)遙拝所(Yo hai jo)と書いてある岩があります。ここから少し離れた所に若子神社(Jakko jinja)があり、その先に寂光の滝(Jakkoh no taki)があります。その道は歴史ある女峰山(Nyohou san)の登山道です。
注連縄(Shime nawa)で囲ってある場所は高天原(Taka maga hara)と呼ばれており、毎年4月16日のAM9:00から3つの神輿(Mikoshi)を集めて儀式が行われます。
神苑(Shin en)を出て、拝殿(Hai den)や手水舎(Cho zu sha)の前に戻ります。左側に見えるのは御神門(Go shin mon)です。
御神門(Go shin mon)を正面から。後ろに見えるのは拝殿(Hai den)です。
御神門(Go shin mon)の前にある鳥居(Tori i)です。
鳥居(Tori i)の右側です。正面の道を行くと、東照宮(Tosho gu)や輪王寺(Rin noh ji)の近くに出ます。左側のスロープを登ると、先に紹介した唐銅鳥居(Kara kane tori i)前の駐車場に出ます。
鳥居(Tori i)の左側です。その先には徳川三代将軍・家光公(Shogun・Iemitsu)の墓所である、国宝の大猷院(Tai yuu in)があります。
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