皇居(Kokyo)と大嘗宮(Dai jo kyu)

首都(Capital)東京(Tokyo)

〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1

駐車場:無し


 

皇居(Kokyo)の案内図(Information map)です。皇居(Kokyo)には六ケ所の門がありますが、普段は大手門(Oh te mon)か平川門(Hirakawa mon)から入る事になります。

 

 

皇居(Kokyo)とその周辺については、下記リンク先の記事を御覧ください。

皇居(Kokyo)とその周辺

 

 

大手門(Oh te mon)を正面から。皇居(Kokyo)はかつて江戸城(Edo jo)があった場所に建てられていて、大手門(Oh te mon)はその正門でした。大手門(Oh te mon)には二つの門があり、この門は高麗門(Koh rai mon)と呼ばれています。

 

 

高麗門(Koh rai mon)を潜った先には、二つ目の門である渡櫓門(Watari yagura mon)があります。

 

 

高麗門(Koh rai mon)と渡櫓門(Watari yagura mon)の間には、かつて渡櫓門(Watari yagura mon)の上にあった鯱(Shachi hoko)が置いてあります。

 

 

渡櫓門(Watari yagura mon)を正面から。門を潜ったら左折します。

 

 

渡櫓門(Watari yagura mon)の先に管理事務所があり、ここで入場料を払います。

 

 

管理事務所のすぐ側に、宮内庁・三の丸尚蔵館(Ku nai cho・san no maru sho zo kan)があります。ここれでか見られない皇室関連の美術品が展示されています。

 

 

宮内庁・三の丸尚蔵館(Ku nai cho・san no maru sho zo kan)から少し歩くと、同心番所(Do shin ban sho)が見えてきます。番所(Ban sho)は下級の侍(Samurai)である同心(Do shin)が警備する検問所です。

 

 

同心番所(Do shin ban sho)を近くから。

 

 

すぐ近くに百人番所(Hyaku nin ban sho)があります。100人の同心(Do shin)で作られるチームが4つあり、交代で警護していたそうです。

 

 

百人番所(Hyaku nin ban sho)の向かいに、中之門(Naka no mon)の跡があります。この坂を上った先に江戸城(Edo jo)の跡地があります。

 

 

中之門(Naka no mon)の柱の跡?があります。

 

 

中之門(Naka no mon)から百人番所(Hyaku nin ban sho)と同心番所(Do shin ban sho)を望みます。

 

 

同心番所(Do shin ban sho)から北に伸びる道を歩いて行くと、左側に白鳥濠(Haku cho bori)、右側に二の丸雑木林(Ni no maru zo ki bayashi)が見えてきます。

 

 

白鳥濠(Haku cho bori)の北側に、汐見坂(Shio mi zaka)があります。この坂を上ると江戸城(Edo jo)の跡地に行けるのですが、この日は大嘗祭(Dai jo sai)の準備をしていたので通行止めになっていました。

 

 

更に先に進むと、梅林坂(Bai rin zaka)が見えてきます。ここも汐見坂(Shio mi zaka)と同じ理由で通行止めになっていました。

 

 

梅林坂(Bai rin zaka)の先に、平川門(Hira kawa mon)があります。

 

 

平川門(Hira kawa mon)も二つの門で出来ています。

 

 

平川門(Hira kawa mon)の平川橋(Hira kawa bashi)から清水濠(Shimizu bori)を望みます。ここから少し歩いた所に靖国神社(Yasukuni jinja)があります。

 

 

靖国神社(Yasukuni jinja)

 

 

大嘗宮(Dai jo kyu)

ここからは、今上天皇が即位した2019年に行われた大嘗祭(Dai jo sai)の祭事場である、大嘗宮(Dai jo kyu)の写真を御覧ください。大嘗宮(Dai jo kyu)は大嘗祭(Dai jo sai)が終わると解体される為、現在は存在しません。

大嘗宮(Dai jo kyu)の見学コースは、普段は一般観光客が通行する事が許されていない坂下門(Saka shita mon)から始まりました。

 

 

大混雑の坂下門(Saka shita mon)をくぐった先に、皇居宮殿(Kokyo kyu den)があります。ここは天皇(Emperor)が祈りを捧げる場所であり、普段は見る事の出来ない場所です。

 

 

皇居宮殿(Kokyo kyu den)の先に、皇室関連の行政機関である宮内庁(Ku nai cho)があります。ここも普段は見る事が出来ません。

 

 

宮内庁(Ku nai cho)の前から、蓮池濠(Hasu ike bori)と松の大廊下跡(Matsu no oh rohka ato)を望みます。

 

 

大きな通りを歩いて行くと、左側に蓮池参集所(Hasu ike san shu jo)が見えてきました。

 

 

これは石垣の上に建てられる多聞櫓(Tamon yagura)と呼ばれる横長の建造物です。江戸城(Edo jo)の多聞櫓(Tamon yagura)は、この富士見多聞櫓(Fuji mi tamon yagura)しか残っていません。

 

 

局門(Tsubone mon)です。宮中で働く女官の事を局(Tsubone)と言い、この門の先には女官達の住居があったそうです。

 

 

門長屋(Mon nagaya)です。ここは倉庫として使われていたようです。

 

 

本丸跡地(Hon maru ato chi)に続く、西桔橋(Nishi hane bashi)を望みます。

 

 

西桔橋(Nishi hane bashi)の上から、紅葉や桜の名所として知られる乾通り(Inu i dori)を望みます。乾通り(Inu i dori)の先には乾門(Inu i mon)があります。

 

 

西桔橋門跡(Nishi hane bashi mon ato)です。ここにもかつて門があったのです。

 

 

西桔橋門跡(Nishi hane bashi mon ato)を抜けると、大嘗宮(Dai jo kyu)が見えてきました。

 

 

2019年の大嘗宮(Dai jo kyu)公開は、僅か18日間だけでした。まさに幻の宮です。

 

 

本丸跡地(Hon maru ato chi)から、大嘗宮(Dai jo kyu)を望みます。

 

 

本丸跡地(Hon maru ato chi)を反時計回りで一周する形になりました。

 

 

ここまで来るのに一時間以上かかりました。

 

 

順番待ちの行列に加わってから二時間以上経過しましたが、やっと大嘗宮(Dai jo kyu)の正面に来ました。

 

 

大嘗宮(Dai jo kyu)の鳥居を正面から。

 

 

大嘗宮(Dai jo kyu)の左側の部分です。大勢の人達が居たので、あまり良い写真は撮れませんでした。

 

 

大嘗宮(Dai jo kyu)の左側です。とても疲れましたが、良いものを見る事が出来ました。

 

 

皇居(Kokyo)とその周辺