〒392-0015 長野県 諏訪市 中州 1606
駐車場:無料駐車場がある。
諏訪大社・上社本宮(すわ たいしゃ・かみしゃ ほんみや)の近くに、諏訪大社の最高神官であり、土着神・ミシャグジ様の依り代でもあった、大祝(おおほうり)の邸宅があります。
昔の大祝邸は大屋敷でしたが、現在は母屋と蔵しか残っていません。
大祝邸への道は狭いです。道の途中に春日神社(かすが じんじゃ)があります。
春日神社を正面から。古い地図を見る限り、昔は諏訪の土着神・ミシャグジ様を祀る御社宮司社(みしゃぐじ しゃ)だったと読めます。御社宮司社の総社は、実質的に諏訪大社を取り仕切っていた神長官・守矢家(じん ちょうかん・もりや け)の敷地内にあります。
春日神社の左側に、諏方家(すわけ)の土蔵と、小さな祠が複数ありました。中央の黒い石碑には、東照宮跡(とうしょうぐう あと)と彫刻されています。
土蔵の上部に梶紋があります。諏訪大社の神紋と同じデザインです。
春日神社の先に駐車場があります。
駐車場の向かいに大祝邸の表門(おもて もん)があります。大祝は現人神(あらひとがみ)として敬われていた所為か、奈良県・大神神社や、埼玉県・三峯神社のように、門が三ツ鳥居の形状になっています。
表門を裏側から。古来より大祝を勤めてきた諏方一族は、2002年に断絶しました。もうこの門から大祝が出入りする事はありません。
大祝邸は諏訪大社・上社前宮(すわ たいしゃ・かみしゃ まえみや)の神原(ごうばら)と呼ばれる場所にありましたが、西暦1600年代後半にこの地に移転しました。現在の家屋は西暦1800年代中頃に再建されたものです。
母屋の隣に、石灯籠と池があります。その時代の政権の方針や、戦乱や火災などによって次第に大祝の権力は削がれていき、同時に敷地も狭くなっていきました。神長官・守矢家は存続していますが、明治維新の際に神官を解職されています。
コメント