大内宿(O uchi juku)
〒969-5207福島県南会津群下郷町大字大内山本
駐車場:有料の大駐車場がある。
大内宿(O uchi juku)は、江戸時代から明治時代(1603~1868)にかけて栄えた宿場町ですが、今は茅葺屋根の古民家が立ち並ぶ観光地として有名です。同じ福島県内にある前沢曲家(Mae zawa magari ya)集落と比較される事が多い所です。
大内宿(Oh uchi juku)の駐車場です。軽・普通車は400円(2019年現在)です。5月3~5日や、8月15日前後、紅葉シーズンの土日などは、国道118号線と121号線において激しい渋滞が発生するらしく、可能ならば日程をズラした方が良いとの事です。
ここから先は、一般車両の進入が禁止されているので、歩いて行きましょう。
道端にコスモスが咲いていました。
雰囲気を壊さない、古民家風の喫茶店です。流石は大内宿(Oh uchi juku)ですね。
道路を挟むような形で、両脇に古民家が建ち並んでいます。
こちらのお店の看板にご注目ください。高遠そば(Taka toh soba)とは、鰹節をかけた蕎麦を、大根おろしを入れた出汁汁につけて、箸の代わりに長葱で食べるというものです。この形で蕎麦を出す店は、大内宿(O uchi juku)にしかありません。
こちらのお店は、古き良き日本を彷彿させる、畳に卓袱台というスタイルの食堂です。
今でこそ、建ち並ぶ古民家の殆どがお土産屋さんを営んでいますが、昔は宿屋(juku)が多かったものと思われます。
大内宿(O uchi juku)に来たら、是非とも食べて頂きたい料理があります。その料理の名は「しんごろう(Shin go roh)」と言います。
うるち米を炊いた半搗きの飯を丸めて竹串に刺して、エゴマ味噌(Egoma miso)を塗り、囲炉裏端で焼いたものが「しんごろう(Shin go roh)」です。ちょっと甘い味付けの、香ばしい郷土料理です。
会津地方ではエゴマ(Egoma)の事をじゅうねん(Juunen)と言います。栄養豊富で食べると十年(Juunen)長生きするからだとか、エゴマ(Egoma)の種を撒く時に、十回念仏(Juunen)を唱える風習があった事から、その名で呼ばれるようになったという話があります。
街道の中央付近に、高倉神社(Takakura jinja)への道があります。
鳥居を正面から。注連縄(Shime nawa)の形が独特ですね。
このまま真っ直ぐ行って良いのかと不安になるかも知れませんが、大丈夫です。
少し歩けば鳥居が見えてきます。
鳥居を正面から。
本殿(Hon den)が見えてきました。鳥居の手前右側に何かありますね。
高倉神社(Takakura jinja)は、用水路がそのまま手水舎(cho zu sha)になっています。作法については他所と同じなので、下記リンク先の説明ページを御覧ください。
サイト内リンク→「礼儀作法(Manners)」
本殿(Hon den)です。御祭神は、後白河天皇(Eemperor Goshirakawa)の第二皇子である高倉宮以仁王(Takakura no miya mochi hito oh)と、その愛馬です。正面には格子窓があり、殿内には脇から入るという、珍しい形になっています。
本殿(Hon den)の奥には、小さな社(Yashiro)がありました。
本殿(Hon den)の真後ろに立つ杉の木です。
鎌倉時代(1185~1333)の軍記物語「平家物語(Heike mono gatari)」では、高倉宮以仁王(Takakura no miya mochi hito oh)は戦死した事になっています。しかし、大内宿(Oh uchi juku)に辿り着いて、数日間滞在したという伝説もあります。王三段(Oh san dan)は、その滞在場所であると言われています。
注連縄(Shime nawa)の先に、王三段(Oh san dan)と呼ばれる場所があります。高倉宮以仁王(Takakura no miya mochi hito oh)は、当時「山本村(Yama moto mura)」と呼称されていた集落を、大内(Oh uchi)と名付けたそうです。
高倉神社(Takakura jinja)から、大内宿(Oh uchi juku)の街道に戻ります。写真左側に、看板が立っているのが見えますでしょうか?
この古民家は、大内宿町並み展示館(Oh uchi juku machi nami tenji kan)です。入場料は250円です。(2019年現在)
展示館(Tenji kan)の中では、江戸時代の家財道具が展示されています。この写真に写っているのは調理器具で、上部の札には「煮・焼・蒸」と書いてあります。
その手前には囲炉裏(Irori)があります。
囲炉裏(Irori)の上には竹組があります。煤と油が染みこんだ煤竹は、茶道の道具を作成する際によく使われます。囲炉裏(Irori)自体が少なくなっているので、煤竹は希少価値が出ており、結構な値段で取引されているとか。
江戸時代風の上段の間です。
茅葺屋根についての説明動画がある部屋や、かまど、セイロなどが展示されている場所もあります。
展示館(Tenji kan)を出て、街道に戻ります。突き当たりの手前にある古民家に注目してください。
名主・阿部家(Nanushi・Abe)の古民家です。UKの旅行家、イザベラ・バードも宿泊した事があるとか。また、大内宿(Oh uchi juku)は数少ないマメコバチの生息地でもあるそうです。吊り下げてある葦の束の茎が蜂の巣になっており、林檎、梨、桃の受粉をさせているそうです。
街道の突き当たりにある古民家の前に、石碑が立っています。
石碑には「湯殿山(Yu dono san)」と彫ってあります。湯殿山(Yu dono san)は、霊山として知られる山形県は出羽三山(Dewa san zan)の一つです。その御神体(Religious symbol)は温泉の湧き出る岩であり、雪深い山中にありながら常に岩肌を見せています。
湯殿山(Yu dono san)の石碑の左側に、急な石段があります。でも危ないので、登らない方が良いですよ。
登るなら、こちらのスロープにしましょう。その先には、浄土宗・正法寺(Jodoshu・shoboji)があります。写真撮影時は、改修工事の最中でした。
浄土宗・正法寺(Jodoshu・shoboji)から先は階段だけになっており、その先には子安観音堂(Koyasu kan non do)があります。
子安観音堂(Koyasu kan non do)です。安産や子供達の健やかな成長を祈願しましょう。
子安観音堂(Koyasu kan non do)の先に、見晴台があります。
見晴台からの風景です。撮影当日は雨が降っていたので、少々視界が悪いです。残念。
見晴台の先に、東屋があります。急な階段を登ってきた訳ですから、ここで一息入れるのも良いでしょう。
東屋の右側には、弁天堂(Ben ten do)があります。近くに大内ダムがあるからでしょうか?
見晴台は高台にあるので、降りる時の階段も急です。
ぞっとするほどの急な階段です。場合によっては、浄土宗・正法寺(Jodoshu・shoboji)に戻った方が良いかも知れません。
階段を降りると、鳥居があります。
鳥居の左側には、石碑が立ち並んでいます。
三仏堂(San butsu do)です。
道の途中に、鳥居だけが建っていました。
帰り際に、茅葺屋根を修理している所を見ました。
大内宿(Ouchijuku)から少し離れた所に、奇岩の断崖で有名な塔のへつり(Toh no hetsuri)と、茅葺屋根の古民家群で有名な前沢曲家(Mae zawa magari ya)の集落があります。