弘福寺(Ko fuku ji)
〒131-0033 東京都墨田区向島5-3-2
駐車場:近くに有料パーキング(小)がある。
禅宗の一派、黄檗宗の弘福寺(Ko fuku ji)です。江戸時代の奇僧、風外慧薫(Fu gai e kun)の作品が境内に安置されている事で知られています。
写真中央に見える塀が弘福寺(Ko fuku ji)で、その手前に2台分しかスペースが無い、小さな有料パーキングがあります。道路の反対側に、弘福寺の会館と小さな駐車所がありますが、そこに参拝客が駐車して良いのかは分かりません。
この日は都営地下鉄浅草駅から隅田川沿いを歩いてきました。ゆっくり歩いて、片道20分くらいです。黄檗宗(Oh baku shu)は中国禅を直輸入した宗派なので、異国情緒を感じます。
山門を正面から。扁額には「牛頭山(Gozu san)」と書いてあります。隅田川沿いにある牛嶋神社の御祭神が須佐之男命(Susa no oh no mikoto)で、明治時代までは牛頭天王(Gozu ten oh)と呼称していました。山号はそれに因んだものだそうです。
山門を潜った右側には「布袋尊(Hotei son)」と彫刻された石碑があります。布袋尊(Hotei son)は西暦800年代の後半から900年代前半にかけて、明州(現在の寧波市・上海の南側)に実在したとされる禅僧です。
布袋尊(Hotei son)の石碑の左側には、穴風外(Ana Fu gai)の異名を持つ風外慧薫(Fu gai e kun)が彫刻した咳の爺婆尊(Seki no jiji baba son)と呼ばれている石像が安置されています。
穴風外(Ana Fugai)は禅の悟りを極めた僧侶であり、穴居生活をしながら達磨や布袋の絵を描いて生計を立てていた事で知られています。
穴風外(Ana Fugai)は、亡くなるまでこの石像を両親の身代わりとして大切にしていました。その事を知った弘福寺(Gu fuku ji)の開基である小田原城主の稲葉正則公(Masanori Inaba)は、石像を取り寄せて、ここに安置する事にしたそうです。
黄檗宗(Oh baku shu)の寺に、曹洞宗(So to shu)の穴風外(Ana Fugai)の作品が安置されている所が面白いですね。
咳の爺婆尊(Seki no jiji baba son)の左側には、鐘楼(Sho roh)があります。
本堂(Hon do)です。大雄寶殿(Dai oh ho den)とも言います。その右側には墓地があり、かつては医学博士であり小説家の森鴎外(Mori Ogai)の墓があったそうです。
現在、森鴎外(Mori Ogai)の墓は、東京都三鷹市の禅林寺(Zen rin ji)にあります。
本堂(Hon do)の扁額です。祝国・・・と書いてあるのでしょうか?縦長の扁額は全く読めません。
本堂(Hon do)には桃戸(Momo to)と呼ばれている観音開きの扉があります。中国では桃は邪を払う神聖な樹木とされており、この扉を勢いよく開く事で邪気祓いをします。
黄檗宗(Oh baku shu)の寺院では、お経を「黄檗唐音(Oh baku toh in)」と言う古い中国語の発音で誦します。般若心経のYOUTUBEの動画を見つけたので、埋め込んでみました。
こちらは黄檗宗(Oh baku shu)のリンクです。大本山である京都の萬福寺(Man puku ji)の記事などがありますので、よろしければ御覧ください。