〒639-3115 奈良県 吉野郡 吉野町 大字 吉野山 579
駐車場:無し
吉水神社は、金峯山寺・蔵王堂(きんぷせんじ・ざおうどう)から少し歩いた所にあります。
吉水神社の鳥居は、店と店の間にあるので見落とし易いです。
鳥居の先は、急な坂道になっています。
吉水神社は修験道の開祖・役小角(えん の おずぬ)の創建で、かつては吉水院(よしみず いん)と言う名の僧坊でした。また、後醍醐天皇(ごだいご てんのう)が南朝(なんちょう)を開いた時は、一時的に皇居になりました。
スロープを上ると山門(さん もん)が見えてきます。元は僧房なので、神社様式の神門(しん もん)ではありません。
山門の右側に見晴らし台があります。ここから吉野の山桜を眺めると、一目で千本を見渡す事が出来るという意味で、一目千本(ひとめ せんぼん)と呼ばれています。
見晴らし台から離れて、二つ目の山門をくぐります。
山門の先に、太閤・豊臣秀吉が基本設計を行ったと言い伝えられている、吉水院庭園(よしみずいん ていえん)があります。
吉水院庭園の手前に、手水鉢(ちょうず ばち)があります。
吉水院庭園の向かいに、恵比寿神社(えびす じんじゃ)があります。
恵比寿神社の左側に、怪力の僧侶として知られる武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)が、二本の釘を親指で押し込んだと言い伝えられている石があります。
本殿(ほんでん)です。御祭神は鎌倉幕府を打倒して南朝(なんちょう)を開いた第96代・後醍醐天皇(ごだいご てんのう)と、楠木正成(くすのき まさしげ)公です。また、少し離れた所にある勝手神社(かって じんじゃ)の社殿が火災で全焼した為、一時的に遷座されています。
他の神社は二礼二拍一拝か、二礼四拍一拝の所が多いですが、吉水神社は二礼十七拍(4+4+4+4+1)一拝します。
本殿を斜めから。吉野山中には、後醍醐天皇を祀る吉野神宮(よしの じんぐう)もあります。
世界遺産に指定されている吉水神社の書院は、大人600円で拝観出来ます。本殿は撮影禁止ですが、書院の中は全面的に撮影可となっています。
書院の入口です。
書院の中は、いくつかの部屋に分かれています。この部屋は、かつて源義経(みなもとのよしつね)と、その妾である静御前(しずかごぜん)が、武蔵坊弁慶らと共に隠れ住んでいたとか。
その隣に、後醍醐天皇の玉座の間があります。
別の部屋では、弘法大師・空海(こうぼうだいし・くうかい)が護摩の灰を練って作ったとされる、灰佛辨財天(はいぶつ べんざいてん)が安置されています。
その隣には、楠木正成公が所有していた、毘沙門天(びしゃもん てん)の像が安置されています。
その隣には、伝教大師・最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)作の荼枳尼天(だきに てん)の像が安置されています。
その隣には平安時代の詩人、小野篁(おの の たかむら)が所有していた千体地蔵(せんたい じぞう)が安置されています。
それらの仏像の近くに、豊臣秀吉の寄贈品や、琵琶の名人と言われた蝉丸(せみまる)が使っていた琵琶があります。
寄贈品の近くに、後醍醐天皇ゆかりの品々があります。
これは源義経が着用していた、色々威腹巻(いろいろ おどし はらまき)です。
源義経の家来の兜や、静御前の鎧などもあります。
これも後醍醐天皇ゆかりの宝物です。
能面(のうめん)のコーナーもありました。
有名な臨済宗の禅僧・一休宗純禅師(いっきゅう そうじゅん)の書もあります。一休禅師の母親は、南朝の出身だったと考えられています。
吉水院を創建した、役小角(えん の おずぬ)の像もあります。
豊臣秀吉が花見をした時に用いられた金屏風です。
書院の縁側から、金峯山寺と、北闕門(ほっけつ もん)を望みます。
北闕門を正面から。古来より山伏達は、ここで九字真法(くじ しんぽう)行じたそうです。
吉水神社のYOUTUBE公式チャンネルでは、正式な九字真法の方法を説明しています。
吉水神社から少し歩いた所にある吉野水分神社(よしの みくまり じんじゃ)は、上千本(かみ せんぼん)の絶景スポットです。
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